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世紀の大事業によって創建された東大寺と奈良の町と一体化した興福寺

奈良の古代文化発生は古く、縄文時代にはその痕跡が県内各地で発掘されています。その後、弥生時代から古墳時代にかけて開発が進み、多くの人々が定住するようになりました。

7世紀後半には中国の律令制度を取り入れ、藤原京・平城京と進展を遂げていきます。

平城京は、唐の都長安にならう大規模なもので、飛鳥や藤原にあった各寺院は移転し、外京には東大寺大仏殿や藤原氏の興福寺などが建立され、人口10万ともいわれるほどの繁栄を謳歌していました。

今回は東大寺と興福寺に行って来ましたので、レポートしていきたいと思います。

東大寺への行き方

管理人は今回、JR奈良駅前にある「LohasJR奈良駅」というホテルを利用しましたので、駅前のバス停から市内循環バスで東大寺まで行きました。

歴史探訪

東大寺

東大寺は、若草山の麓にある広大な境内をもつ大きなお寺です。

徒歩でもバス利用でも、まずは、寺の正面にあたる南大門を目指します。バス停から門前にかけて、みやげ物店が立ち並び、奈良のシンボルでもあるシカ達がせんべいをあたえてくれる参拝客を待っているので、すぐにそれとわかります。

参道を通り抜けた先には、高さ25メートル、7〜8階建てビルにも相当する巨大な門が圧倒的な迫力でそびえ立っています。

迫力満点でした。

この、門を守る仁王像は、近年の解体修理によってその胎内から発見された遺物から、わが国を代表する仏師運慶を総大仏師と仰ぎ、慶派総出による作品であるとわかったそうです。

高さは8メートル余りに及ぶ傑作で、頭部に近づくほど寸法が大きく設計されているのは、下から見上げて美しくみえるように計算されているそうです。

上は金堂(大仏殿)の写真です。

高さは南大門の倍ほど、47.5メートルもあります。なんと世界最大の木造建築物です。間口はなんと57メートル、奥行きは50.5メートルもあるんですよ。

現在の建物は、25年間、のべ56万人以上を要して、1709年再建されたものです。これでも創建当初の2/3の大きさだそうです。天平時代に建てられた当時のものが、国家的な大行事だったことの何よりの証しですね。

1980年に完了して昭和の大修理でも、7年歳月と37億円ほどの費用がかかったそうです。こうなるともはや、ひとつの寺という規模ではないですよね。

それでは、大仏殿の中に入っていきますよ。

正面から入った瞬間にこのお姿が飛び込んできます。まさに「どーん」といった感じでした。

大仏様の台座の外周は70メートルもあり、座高約15メートル、幅3.2メートル、右手の掌の長さは1.48メートル、中指は1.08メートルもあるそうです。

髪の毛の部分にあたる螺髪(らほつ)のひとつが人間の頭より大きいというから驚きです。

なんと、これが造立当時には666個も載っていたそうです。それだけでも、大仏の巨大さが実感できますよね。

奈良時代に造立されて以来、地震や兵火で幾度か破損、補修を重ねていて、当初のものは、腹部や左大腿部の衣のひだ、台座の蓮弁の一部に残っているだけです。

興福寺

五重塔

上の写真は興福寺の五重塔ですね。

災難で焼失しては幾度も再建を果たし、天平時代の姿を今に伝える貴重な建造物です。1426年築というから、そうとうな歴史を感じることのできる塔です。

高さは51メートルに及び、京都の東寺に次ぐ、全国2位です。

国宝館

館内は撮影禁止だったので、残念ながら写真はありませんが、この建物の中に超有名な「国宝阿修羅像」が安置されています。

管理人がこの像を観た時の印象は、とても神秘的な感じでした。

まとめ

はるかな飛鳥時代に、新しい文化を受け入れるか否かで、国を二分する激しい議論が戦わされました。時には言葉にとどまらず、武力衝突もおきました。

その結果として受け入れられた仏教を大切に守り育てた中心に常にあったのが法隆寺でした。(残念ながら今回の旅行では立ち寄っていません)

寺々の広大な敷地が中心部を占める奈良市は都市化では遅れをとりましたが、その一方、だからこそ他のどこにも例をみない独特の奈良らしさを守ってこられたのです。

わが国仏教の都として刻み続けてきた長い歴史と、いまだ解明されていないたくさんの謎が、混然一体となっているからこそ、人々は奈良に吸い寄せられてくるのでしょう。

みなさんも機会をみつけて奈良散策をされてみてはいかがですか?