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広島原爆ドーム近くのお好み焼き屋さんで大人気のお店を紹介します!

1945年8月6日、広島市街地の上空で炸裂した原子爆弾は、一瞬のうちに街を壊滅させ、多くの人命を無残に奪い去りました。

管理人は、世界で唯一の被爆国で生まれた者として、一度訪れてみたかった街が広島市でした。

今回は、実際に訪れてみて感じたことを、平和記念公園を中心に綴ってみます。

広島原爆ドーム近くのお好み焼き屋さんで外国の方にも大人気のお店も紹介します。

平和記念公園への行き方

管理人は九州方面から高速道路を利用して現地まで行きました。

他の方法でアクセスされる方は下記を参考にしてみてください。

 

広島平和記念資料館

広島平和記念資料館は2019年4月25日に本館をリニューアルオープンしました。

管理人が訪れたのはその翌月ということになります。

上の展示品は、広島に投下された原爆に詰められていたウランのうち、実際に核分裂した1キロにも満たない量を再現したものです。

たったこれだけの量で、約14万人とも言われている尊い命を奪ってしまったのか・・・

核兵器の恐ろしさを、まざまざと見せつけられました。

広島平和記念資料館の建物内から見た平和公園の様子です。

本当に穏やかな光景です。

 

海外、特に欧米からの見学者の方がとても多いなという印象を受けました。

上の写真で、子供たちが観ている絵がとても印象的なんです。

その絵というものがこれで、

被爆者の方がご自身の体験を描いた絵なんです。

管理人は今回、広島平和記念資料館で様々な資料を拝見しましたが、一番心を動かされたのはこれら被爆者の方々が描いた絵でした。

平和記念公園

原爆死没者慰霊碑

原爆で壊滅した広島市を、平和都市として再建することを願って建立されたものです。写真では確認できませんが、以下のように刻まれていました。

安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから

公園内もやはり欧米の観光客の方が多かったです。

原爆の子の像

上側の写真は原爆の子の像です。

白血病により12歳で逝去した佐々木禎子さんと原爆によって命を奪われた子供たちに捧げる慰霊碑です。

その次の写真は世界中から寄せられた折り鶴が収納されていました。

その数は年間1千万羽にもなるとのことです。

世界中の方々がいかに広島市に関心を寄せられているかが分かります。

原爆ドーム

広島を象徴する建物といえる原爆ドームですね。

爆心地から約160メートルの至近距離で被爆し、凄まじい熱風と熱線をあびて大破しました。

中心部は奇跡的に倒壊を免れたものの、壁はほとんど崩れ落ち、内部にいた人々は全員即死されたそうです。

現在もこうして、被爆当時の姿のまま、原爆の恐ろしさを伝えているところがすごいです。

広島原爆ドーム近くのお好み焼き屋さんで外国の方にも大人気のお店

広島と言えば、お好み焼きを連想する方が多いですよね。

ここからは管理人が興味を抱いた、広島のお好み焼き屋さんについて紹介します。

広島市内中心部、原爆ドームから目と鼻の先にある「お好み焼き長田屋」さんです。

まず印象的だったのは、入店待ちで並んでいる人のほとんどが外人さんだったことです。

海外の方が関心を持っているお好み焼き屋さんとはいったいどんなお店だろう?という思いから、生粋の日本人である管理人は興味を抱き、入店してみることにしました。

やはり、店内のお客さんは、外国の方ばかりでした。ちょっと戸惑いつつも、

[肉玉(そば)ねぎかけ]を注文しました。

待っている間、隣の席の外人さんの会話がとてもユニークだったので紹介します。

運ばれてきたお好み焼きを前にしてビール片手に、カタコトの日本語で、

外人さんA

それでは、いっぱいやりますか?

外人さんB

やりましょう!

ふたりそろって

カンパーイ!

身長190センチはあったであろう外人さん2人が、日本の典型的サラリーマンみたいで、とても愉快でした。

そうこうしているうちに、管理人のテーブルにも注文の品が運ばれてきました。

初めて広島で食べた本場お好み焼きの触感は、表面はパリッ、中はモチモチ!

最高でしたね。これなら何枚でもいけるぞ!という印象でした。

まとめ

世界最初の核爆弾により甚大な被害が出た広島。

死者数は14万人ともいわれていますが、現在も正確にはわかっていません。

「70年は草木も生えない」といわれた広島の中心部は、緑豊かな公園となり、多くのボランティアの方々が中心となって、平和のメッセージを発信し続けています。

熱心な彼らの姿勢をみて、管理人自身も「明日からも頑張るぞ!」

という気持ちになりました。

それだけでも、今回の広島訪問は意義あるものでした。

みなさんも、機会があれば広島を訪れてみてください。