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南蛮貿易で栄えた平戸市(長崎県)に異国の文化と歴史をたずねて旅をする

長崎県の北西に平戸という島があります。周辺の島を合わせても、人口3万人ちょっとの小さな町ですが、雄大な歴史を感じさせる魅力的な場所です。

奈良・平安期での遣唐使船の航路では、博多湾を出航したあと、大海へ出る重要な足がかりとして、平戸島に寄港していたそうです。

室町期から江戸初期にかけては、ポルトガル人・イギリス人・オランダ人達との貿易により、日本最初の西洋貿易港として栄えます。

管理人は今回、平戸島を訪問して、南蛮貿易で栄えた平戸市(長崎県)に異国の文化と歴史をたずねて旅をしてきました。早速レポートしていきます。

平戸への行き方

管理人は今回、佐世保市内の「HOTEL FLAGS」というホテルに宿泊しましたので、そこからのアクセスとなりました。

南蛮貿易で栄えた平戸(長崎県)の歴史探訪

平戸港交流広場からの眺め

海面から緑を盛り上げたような岡の上に、城が見えますね。

日本有数といえる海峡と島山の城という建造物がみごとに調和しています。

いかがですか?

松浦資料博物館

初めに訪れたのは松浦資料博物館でした。

こちらは、鎌倉・室町期、豊臣期でも大名として公認され、徳川期に6万3000石の平戸藩を形成し、明治維新まで続いた松浦家に伝来する資料を展示している博物館です。

博物館内は上の写真のような地図や古文書などが多数展示されていました。

以前読んだ司馬遼太郎さんのエッセイでも、平戸藩主松浦家に触れられていて、以下のように書かれていました。

「この島の松浦の殿様というのは、武将というよりも貿易業者であった」と、

司馬さんらしいとても面白い表現です。

平戸オランダ商館

こちらは、1609年に東インド会社が平戸に設置した貿易拠点だった建物を復元したものです。

上の写真は1600年に日本(大分県の臼杵海岸あたり)に漂着したデ・リーフデ号の模型です。

1598年にオランダを発った艦隊のうち、唯一日本にたどり着くことができた奇跡の船です。

オランダを出るときに110人いた乗組員のうち、生きている者はわずか24人で、そのうち起き上がって歩ける者は6人にすぎなかったといわれています。

この時の生存者の1人にウィリアム・アダムスというイギリス人がいました。彼は徳川家康と会見し、その後、家康の側近・外交顧問として仕えることになります。

ウィリアム・アダムスは後に平戸に来ることになり、56歳のときに平戸でその生涯を終えることになります。

吉田松蔭宿泊紙屋跡

長州藩の吉田松蔭先生は、1850(嘉永3)年、藩の許可を得て平戸へ来ることになります。

吉田家は山鹿流兵法を家学として代々伝えることを義務付けられている家でした。

山鹿流兵学の家元は、江戸期を通じて、平戸藩にあったので、彼は兵学の仕上げをすべく、平戸に来たのです。

写真ではわかりづらいですが、案内板には次のように書かれていました。

1850(嘉永3)年、山鹿流軍学を学ぶために平戸を訪れた吉田松蔭は、儒学者で平戸藩家老でもあった葉山佐内に惹かれ、この地にあった紙屋に滞在しながら数多くの書物を書き写したという。

平戸城

平戸の中心部から車で5分くらい上った高台に平戸城は建っています。

 

お城の中はこのように掛け軸や太刀など多数の資料が展示されていました。

最上階からの眺めは格別で、正面に本土と島をつなぐ平戸大橋が見えるのが分かりますか?

まとめ

古代、この地域は大小の士豪が群立して松浦党という名のもとに、ときには外的に対して結束し、ときには内部分裂してたがいにせめぎあっていました。

その中でもっとも強勢だった勢力が、松浦姓を称しつづけ、鎌倉・室町期を生きのび、豊臣秀吉の時代でも大名として公認され、徳川期に6万3000石の平戸藩を形成し、明治維新にいたったのです。

時間の都合で半日ほどしか滞在できませんでしたが、とても有意義な時間を過ごすことができました。

みなさんも是非一度、平戸に行かれてみてください。